友人から聞いた話。
 深夜の牛丼屋で、白髪の男性と金髪のギャル男がカウンターにならんで腰かけていた。妙な組み合わせだなと思ってなんとなく会話に耳をすませていたところ、ギャル男が不意に、「それってつまり、神の見えざる手ということですか!」と抗議するような口調で叫んだ。


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 幼馴染のクレーン運転手から数年ぶりに電話があった。年に一度会うか会わないかの関係で、結婚の報告すらLINEだったというのに、突然の着信だった。ちょうど新型コロナウイルスが日本でも流行しはじめていた時期だったので、嫌な予感があたまをよぎりもしたが、幼馴染は開口一番、「あのさぁ、ちょっと聞きたいことがあるんやけどさぁ、コミックスと書籍の違いってなに?」と言った。


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 腕や足に蚊が着地する気配を感じるたびに、実際に目で確認するよりもはやく手のひらでそこをぴしゃりと打つ癖がある。まんまとやっつけるのに成功することもあれば、うぶ毛がこすれてくすぐったいのを勘違いしていただけであるのに気づくこともある。
 手をふりおろしはじめるまぎわに、こちらの反応を察して離陸した蚊の姿を視界の端に認めることもときにはある。それでもふりおろす手を止めることはない。むずがゆい肌をそのままぴしゃりとやってしまう。まんまと蚊に逃げられてしまったじぶんを罰する手なのだと思う。

 十年以上前に、友人から聞いた話。

 町中で、りんごを丸かじりしながら歩いている男がいた。友人はトイレに行きたかったので、急ぎ足で彼を追い抜き、そのまま近くの商業施設に入った。小便器の前に立ってしばらく、りんごの男も同じトイレにやってきた。手にはまだりんごが握られている。二口、三口ほどしか食べた形跡がない。どうするつもりなのだろうと横目で見ていると、男はりんごにがぶりと噛みついた。そして噛みついたものをくわえたまま、両手を股間のファスナーにのばして小便器の前に立ち、放尿をはじめた。

 

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 別の友人から聞いた話。

 アメリカ留学中、街を歩いていると、すれちがう人間がなぜかときどき十字を切る。それもこちらに向けて切っているようにみえる。なぜだろうと疑問に思ってしばらく、自分が十字架のネックレスを身につけていることに気がついた。

 

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 むかし勤めていたバイト先の同僚から聞いた話。

 あるとき、偶然、妻が内緒で運営しているブログを見つけてしまった。ブログには自分の悪口が山ほど書かれていた。その人自身も出会い系でしょっちゅう浮気をくりかえしていたが、ブログの記述から察するに、妻は妻でどうやらインターネットで知り合った不特定多数の男性と関係を持っているようすだった。そこは痛み分けとして割り切るとしても、離婚するべきかどうか悩んでいるという記述が頻繁に登場するのには、さすがにまずいと思った。そこで、たまたまそのブログに流れ着いた赤の他人のふりをして、旦那さんと離婚するのはやめたほうがいいと、離婚したら子どもがかわいそうではないかと、助言をよそおったコメントをあれこれ投稿した。

 妻のほうからも積極的に返信があった。結果、コメント欄でのやりとりはその日一度だけではなく、数週間に渡って続くことになった。ある日、いつものように、離婚を回避するために練りあげた長文のコメントを投稿したところ、いろいろ詳しく相談したいので、おたがいの都合のつく日に一度どこかでゆっくりお会いできませんか、という提案が妻から届いた。

 鴨川でポストカードを路上販売していると、時々、四十代か五十代くらいの、いかにもヒッピー風な男が姿を見せることがあった。生え際の後退した長髪に、黒のサングラス、黒のタンクトップ、黒のスキニーパンツ、黒のブーツ。ブーツの踵には鈴が結えられており、それをシャンシャンと踏み鳴らしながら、パンツの後ろポケットに突き刺してあるドラムスティックを取り出し、路上駐輪してある自転車のサドルを叩きまくる。それを観光客たちが好奇のまなざしでながめる。

 何度か話す機会があったのだが、イギリスでジャズと英語とタロットカードを学んだという、本当かどうかよくわからないプロフィールの持ち主だった。路上で物を売ったりライブをしたりしている面子からは、率直にいって、かなり煙たがれていた。あのおっさん来ると客逃げるからなァ、と。

 一度、煙草をねだられた。持っていないと応じると、それじゃあマジックを一本貸してくれという。男は近くのコンビニでもらってきた段ボールのおもてに、こちらが貸したマジックで「タロット占い1000円」と書きつけると、別の一画で自作のアクセサリーを路上販売している女性からキャンドルを一本借りて、その段ボールの上に立てた。すでにあたりは薄暗かった。タロットカードを立てたキャンドルの脇に置く。

 異様な身なりが功を奏し、すぐさま若い女性二人組がやってきた。占いは終えた男性は客から裸の千円札を一枚受け取ると、すぐにキャンドルの火を消し、段ボールを折り畳み、先のコンビニで煙草を買った。

 

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 幼なじみの父は植物を育てるのが趣味だった。天敵はオオスカシバ。害虫だ。卵を駆除すれば1円、幼虫を駆除すれば10円、さなぎを駆除すれば50円、成虫を駆除すれば100円、それぞれ小遣いをやると言われていた幼なじみは、下校の途中、いたるところでオオスカシバを捕獲し、それを自宅の菜園で見つけたものと偽って小遣いを稼いでいた。

 ほとんど毎日、登下校を共にしていたこともあり、こちらもオオスカシバを見つけるのが自然と得意になった。ある日、道端でオオスカシバの幼虫を見つけたので、おい、ここにおるぞ、と教えた。幼なじみは葉っぱの上にいるその幼虫をじっくり検分すると、このサイズやったらもうすぐさなぎになる、もうちょい待つわ、と言った。

 大学時代の友人は、アパートにWi-Fiがなかった。彼の住んでいたアパートから大学までは、歩いて数分の距離だった。夜になると、彼はたびたびノートパソコンを小脇に抱えて外に出た。そして大学の塀沿いに突っ立ち、そこで電波を拾いながら、アダルトサイトの無料サンプル動画をダウンロードしていた。

 

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 墓参りに行くたびに、神社でお詣りするときみたいに、心の中でお願いごとをする習慣がある。

 子どもの頃、手を合わせて目を閉じているあいだ、いったい何を考えればいいのか分からなかった。母にたずねると、お願いごとでもすればいいという返事があった。その名残が、妙な話だが、三十路も半ばに達したいまにまでおよんでいる。

 墓参りの作法としては、実際、完全に間違っている。しかしだからといって、顔も知らない水子の兄にいまさらどう語りかければいいのか、てんで見当がつかないし、何も語りかけず手を合わせるだけというのも、すこぶる手持ち無沙汰だ。

 だから、いまでも年に一回か二回、「行き詰まっている原稿の難所が突破できますように」とか、「貯金が尽きるまでにやばいバイトが見つかりますように」とか、「今度乗る飛行機が墜落しませんように」とか、けっこう具体的な自分の願いをしっかりと言葉にする。そういう機会が与えられている。

 アルバイト先に虚言癖のある先輩がいた。副業としてドラッグの売人もしているひとで、知り合って二年ほど経ったころに三つか四つほどの罪状で逮捕されて、それきりになってしまったが、当時はわりと仲良くしていた。面倒見が良いといえば良いひとで、ひどい暮らしをしていたこちらに食事をおごってくれたことも何度かあったし(祇園で飲み食いしたのは後にも先にもこのときだけだ)、おすすめの日本語ラップも色々教えてくれた(MC漢やMAKI THE MAGICのことを知ったのもそのひと経由だった)。信用はまったくできないひとだったが、バイト先の先輩後輩という関係を大きくはみださないかぎりは付き合いやすい相手で、だから、けっこう好きだった。まとめブログの受け売りで語られる、ネット右翼丸出しの政治観だけはきつかったが。

 虚言の例を挙げれば、本当にきりがない。そのひと自身のプロフィールに関することになれば、おそらく、半分以上が根も葉もないでっちあげだった。アメリカの五大ファミリーのボスとつながりがあるとか、そのルートを利用したドラッグの売り上げだけで最大月に10億稼いだとか、高校生のときにポルシェを現金で買って通学の片道だけで乗り捨てたとか、京大の実験室に夜な夜な忍びこんで純度の高いLSDを合成していたとか、FBIの捜査官から職務質問を受けたことが何度もあるとか、仲間が競合相手の生首を切り落として駅のコインロッカーに捨てたとか、創価学会の被害にあった女の子たちを自分名義のマンションに保護しているとか、聞いているだけで恥ずかしくなるような嘘八百にもいちいち疑義を呈することのないこちらに対しては、最低賃金で雇われた清掃業の現場で知り合ったというたがいの経緯を完全に失念してしまっているみたいに、なかなかけっこう羽振りの良いエピソードを並べたてた。そして、いつか自分の自伝を三宅くんに書いてほしい、と言った。

 一度、ふたりで焼肉を食べに行ったとき、悪意からではなくごくごく自然に、今日も肉を生で食べるつもりですかとたずねてしまったことがある。焼肉屋に行くと、店員を心配させないように救急車をおもてに待機させた上で、必ず肉を生で大量に食べると言っていたのを思い出し、不意に口を突いて出た言葉だった。いまからすれば、それだって虚言の一種でしかないと分かるわけだが、先に挙げたような派手な嘘とは違って、ほかの同僚らの前でもわりと頻繁に吹聴していた内容だったし、それに、そのときはこちらも色々ちゃんぽんしすぎていたので、気が回らなかった。

 銀皿によそわれて運ばれてきた加熱用の生肉を、そのひとは本当に生のまま食べた。救急車を待機させるようなことはなかったが、うげーというこちらの驚きをよそに、そのまま一皿まるっとたいらげた。

 だから、あれだけは虚言でもなんでもなく、本当のことだったのだ——と、そういうつもりはない。そうではなくて、迂闊にもそのひとを退くに退けないところにまで追い込んでしまった、こちらに落ち度があったという話だ。だから、そのことを思い出すと、いまでもとても悪いことをしたなと思う。

 

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 犬の散歩中、河川敷でよく見かける老人がいる。向こうもいつも犬を連れている。聞けば、子供のころから犬が好きで、柴犬や柴犬の血の混じった雑種犬ばかりを、いまにいたるまでたぶん二十頭以上は飼ってきたという。おとなしい犬ですねと、そのとき連れていた犬を指して言うと、犬も人間と同じでそれぞれや、吠えて吠えて言うこときかんかったんもおる、あれが死んでくれたときはほんとにほっとしたわ、と老人は言った。

 

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 友人から聞いた話。テレビで映画の予告編が流れていた。いわゆる動物モノで、予告編のなかには、主人の遺体がおさめられた棺の中を犬がのぞきこみ、くーんと悲しそうに喉を鳴らすシーンがあった。それを見た友人の祖母は、いかにも感に堪えないといった口調で、犬畜生にも人情があるんやなぁ、と言った。

 京都に住んでいた頃、バイト先のラブホテルの同僚だった仏教系の大学に通う学生から、卒業論文の代筆を頼まれた。いくら出せるかとたずねると、十万円までなら問題ないという(彼はその少し前、交通事故に遭って、慰謝料をたんまりふんだくっていた)。当時の月収はだいたい七万円か八万円だったので、引き受けることにした。

 ゼミで薦められたという参考文献を三冊か四冊、まずは持ってきてもらった。それにざっと目を通してから、彼のいうとおり、ブッダの生涯について20000字前後でまとめる計画だった。代筆がバレるとまずいので、過去に書いたレポートも見せてもらったのだが、ひどいものだった。論文なのに、書き出しが「自分は~だと思う」だったし、文章そのものも壊滅的。主部と述部は噛み合わないし、読点はでたらめだし、誤字も脱字も山ほどある。てにをはの怪しい箇所も少なくなかった。

 論文そのものは一日で書きあげたが、そのあとに、文章をまずく作りなおす行程が控えていた。これにはかなりの工夫を凝らした。できあがったときには、ある種の文学的達成感すらおぼえたものだ。仕上がったものを手渡し、報酬を受け取った。その金で、オーストラリアから帰国したばかりの友人に回転寿司をおごった。

 後日、別の同僚から、依頼主の学生がバイトの休憩時間中、「三宅さん、マジで文章の間違いが多いんすよね。十万も払ったのに」と愚痴を垂れていたと聞かされた。

 学生の頃、税金対策のためだけに営まれている中古ビデオゲーム店で、アルバイトをしていた。

 店内の一画で遊戯王カードをプレイするためにやってくる常連客の中には、小中学生に混じって、男子大学生も何人かいた。そのうちのひとりは、やたらと先輩風を吹かせるために、子どもたちから陰でかなり疎ましがられていた。じぶんの名前を冠した「ギルド」を組織し、店に出入りしていた小学生らをなかば無理やりその構成員として任命するのだ。彼はだれと顔をあわせても一言目には「いそがしい、いそがしい」と口にしていたが、それでいてほとんど毎日のように店に姿をみせた。

 いちどその彼が、他店で購入したばかりだという新作人気ゲームソフトをもって、店にあらわれたことがある。彼は、たまにはお店に貢献しますよ、といって、その新作ソフトをレジに差し出した。どういうことかと困惑していると、買い取りしてください、そして買い取ったものをこの店の目玉商品として売りに出してください、と続けた。

 

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 中古ビデオゲーム店の店長は、奈美悦子に似ている五十代の女性で、過去に偽ブランド品を売買した罪で、逮捕歴があった。小ぶりのショウケースの中には、押収されず手元に残ったものだろう、どう見ても偽物でしかないルイ・ヴィトンのコインケースが二つ三つ、裸のまま置かれていた。同僚のアルバイトが一度、「これ、置いていていいんですか」とたずねると、店長は「これは限りなく本物に近い偽物だからいいんです」と言った。

 

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 店長の恋人は、彼女よりひとまわり以上年下の、どこからどう見ても水商売あがりの男だった。カウンターの向こうにひかえて店番をしている店長が、そのとなりに座らせた恋人の男とディープキスをしているところを、同僚のアルバイトが店の前を通りがかったときに、たまたま、入り口のガラス扉越しに目撃した。彼は、何も見なかったふりをして、そのまま店の前を通りすぎた。

 ほどなくして店長から電話があった。いますぐ店に来るようにという命令に応じる格好で、しかたなく店にもどると、店長は丸盆いっぱいの特上寿司を差し出し、あまっているから好きなだけ持っていきなさいと言った。

 

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 いちど、こちらが店番している時間帯に、店長とその恋人がふたりそろって店に姿をあらわした。店長は、恋人の男が店の外にひととき姿を消したその隙に、こちらのそばに駆けよると、「三宅さん、『ご結婚おめでとうございます』って彼に言ってください」と耳打ちした。ふたりが結婚したことを知ったのはそのときがはじめてだったので(それどころか恋人の男を間近で見るのもそのときがはじめてだった)、これはまったく寝耳に水だったが、とにかく、男がふたたび店に姿をみせたところで、指示されたとおり、「ご結婚おめでとうございます」といって軽くあたまをさげた。男は低い声でもごもごいうだけで、すぐにまた店の外に出ていった。